日本歴史地名大系 「市野瀬村」の解説
市野瀬村
いちのせむら
天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳に村位は中、村高は「三百四拾六石五斗七升四合五勺 市ノ瀬」とあり、正保四年(一六四七)の信濃国絵図高辻では浦村が村高三〇石で独立している。
市野瀬集落の南の小字
市野瀬村
いちのせむら
渡庄目録(九条家文書)に平等院領として「越中国一瀬保 寺家分絹九十疋 預所分三疋」とある。元来国衙領であったが、承久の乱後九条頼経が第四代将軍に迎えられたことにより、幕府方から九条家に給され、呉服料所とされたものであろう。暦応五年(一三四二)正月日の摂
渡庄目録では平等院の執行法印の管領下に入っていたことが知られる。
市野瀬村
いちのせむら
市野瀬村
いちのせむら
市野瀬村
いちのせむら
市野瀬村
いちのせむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報