刈合村(読み)かりあいむら

日本歴史地名大系 「刈合村」の解説

刈合村
かりあいむら

[現在地名]下郷町豊成とよなり

楢原ならはら村の北、阿賀川左岸の段丘上に立地。岩と絶壁と川によってさえぎられ交通の便が悪い。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「苅合」とみえ、高二九三石余。南山御蔵入領楢原組に属する。貞享二年(一六八五)の「楢原郷地下風俗覚書」によると、楢原村との間は難所で、この間に架けられた四ヵ所の橋は下郷中の村で普請人足を出した。塩生しおのう村との間の阿賀川に架けられた橋は毎年雪解け水のため落ちたが、普請人足は楢原組・松川組の村々で負担した。栗林があり農民一人二朱から三朱を売った。おお(阿賀川)筋を流す流木の筏乗六人がいた。元禄四年(一六九一)の万覚書帳(下郷町史資料集)では本田一〇〇石余、反別田八反余・畑二〇町余、新田一七石余、反別田一町六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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