日本歴史地名大系 「則定陣屋跡」の解説 則定陣屋跡のりさだじんやあと 愛知県:東加茂郡足助町則定村則定陣屋跡[現在地名]足助町則定 本郷現足助町立則定小学校の位置に、江戸時代を通じて一千石の旗本鈴木家の陣屋が置かれた。則定椎(のりさだしい)城の山麓で、七里(しちり)街道に沿う高台にある。天保九年(一八三八)の三河国賀茂郡九ケ村明細帳(深見保家文書)によると、敷地は東西三〇間・南北一八間。御屋敷・土蔵・陣屋守居宅がある。陣屋は旧加茂郡のうち則定村・寺沢(てらさわ)村・丹波(たんば)村・上垣内(かみがいと)村・上八木(うばやぎ)村・市(いち)ヶ瀬(せ)村・御蔵(みくら)村・摺(すり)村の一部と山中(やまなか)村(現豊田市)の九ヵ村合計七〇〇石を支配した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by