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前田慶寧 まえだ よしやす

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美術人名辞典の解説

前田慶寧

幕末・明治の加賀金沢藩主。江戸生。前田斉泰の子。本姓は菅原、初名は利住、幼名は犬千代、通称は又左衛門、号に蘭皐・菁莪・先春堂、謚を恭敏公。加賀守・筑前守を経て参議を務める。家督を相続し、軍制の強化・土木事業の振興をはかった。維新の際に功があり、版籍奉還を許され、金沢藩知事・従三位に任ぜられる。明治7年(1874)歿、45才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田慶寧 まえだ-よしやす

1830-1874 幕末-明治時代の大名。
文政13年5月4日生まれ。前田斉泰(なりやす)の長男。慶応2年加賀金沢藩主前田家14代となる。世子のとき側近に尊攘(そんじょう)派があつまり,元治(げんじ)元年京都御所警護にあたったときも長州のため斡旋につとめた。禁門の変後,父斉泰に謹慎を命じられ,側近の勤王派は処刑された。戊辰(ぼしん)戦争では新政府について北越に出兵。明治7年5月18日死去。45歳。初名は利住。通称は又左衛門。

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朝日日本歴史人物事典の解説

前田慶寧

没年:明治7.5.22(1874)
生年:天保1.5.4(1830.6.24)
幕末の加賀(金沢)藩主。父斉泰隠居を受け慶応2(1866)年14代藩主となり1022700石を領した。嫡子のときから側近に尊攘派が多く,元治1(1864)年京都守衛のため上京した際も,長州(萩)藩の弁護に当たった。しかし禁門の変が起こると病気と称して帰国したため謹慎させられ,尊攘派の側近も除かれた。戊辰戦争の際,一時幕府に援軍を出そうとしたが中止され,官軍として北越戦に兵を出し,明治2(1869)年賞典禄1万5000石を与えられ,次いで金沢藩知事に任ぜられた。<参考文献>日置謙編『加賀藩史料』幕末篇下

(上野秀治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の前田慶寧の言及

【加賀藩】より

…領主は外様大名前田氏。城地は加賀国金沢。加賀,能登,越中3ヵ国の大部分と近江国に102万5020石余を領知した大藩。1581年(天正9)藩祖前田利家は織田信長から能登国を給知されて七尾に居城し,83年に羽柴秀吉から加賀国北半を加増されて金沢城に入った。越中の佐々成政征伐のあと,長子利長とともに越中国を加封され,1600年(慶長5)2代利長は徳川家康から加賀国南半を増給された。ほかに1595年(文禄4)から近江国に二千数百石を領し約120万石に及んだ。…

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