デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田斉泰」の解説 前田斉泰 まえだ-なりやす 1811-1884 江戸時代後期の大名。文化8年7月10日生まれ。前田斉広(なりなが)の長男。文政5年加賀金沢藩主前田家13代となる。公武合体を説き,禁門の変後,世子慶寧(よしやす)に謹慎を命じ,勤王派を処刑した。明治17年1月16日死去。74歳。初名は利候。通称は又左衛門。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「前田斉泰」の解説 前田斉泰 没年:明治17.1.16(1884) 生年:文化8.7.10(1811.8.28) 幕末の加賀(金沢)藩主。幕末の動乱期に第一の大藩として期待されながら動かず。禁門の変ののち,尊攘運動に関心を寄せていた世子慶寧に謹慎を命じ,その側近を処分した。慶応2(1866)年藩主の座を慶寧に譲る。状況に追随し,加賀百万石を保守した。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
367日誕生日大事典 「前田斉泰」の解説 前田斉泰 (まえだなりやす) 生年月日:1811年7月10日江戸時代末期;明治時代の大名1884年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報