劉玄(読み)りゅうげん(英語表記)Liú Xuán

改訂新版 世界大百科事典 「劉玄」の意味・わかりやすい解説

劉玄 (りゅうげん)
Liú Xuán
生没年:?-25

中国,後漢の初代皇帝光武帝劉秀族兄。字は聖公。劉秀とともに挙兵し,湖北の新市(緑林)・平林の兵と連合して勢力を振るった。諸将に推されて天子更始帝)となり,建元して更始元年とした(23)。洛陽を国都としたが,しばらくして長安に遷都した。王莽おうもう)によって奪された漢朝を再興し,前漢の官制を復活させた。しかし,公卿や尚書の要官は兵伍の出身のものによって独占されていたので,天下の支持を得られなかった。長安に侵入してきた赤眉の乱軍に投降し,のちに縊殺(いさつ)された(赤眉の乱)。
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世界大百科事典(旧版)内の劉玄の言及

【光武帝】より

…景帝の子長沙定王発から派出し,封地の南陽郡蔡陽県白水郷(現,湖北省棗陽(そうよう)県)に土着し豪族化した。王莽末期に緑林の乱,赤眉の乱などが起こると,長兄の劉演と族兄の劉玄とともに南陽の豪族と連合して挙兵し(22),新市の緑林と平林の兵と同盟して勢力を振るった。劉玄を立てて更始帝となし,改元して更始元年(23)とした。…

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