劉表(読み)りゅうひょう(その他表記)Liú Biǎo

改訂新版 世界大百科事典 「劉表」の意味・わかりやすい解説

劉表 (りゅうひょう)
Liú Biǎo
生没年:?-208

中国,後漢末の群雄の一人。字は景升。高平(山東省鄒県南西)の人。漢の景帝の子,魯恭王劉余の子孫。若くして八顧とよばれ,有徳者の一人に数えられた。190年(初平1)に荆州刺史となると宗賊(江南の反体制勢力)を平定して江南を支配し,その勢力は南の零陵,桂陽まで及んだ。官渡の戦では袁紹,曹操のいずれにも荷担せずに観望していたが,201年(建安6)に劉備が頼ってきたことから曹操との関係は悪化,208年曹操軍の来襲を目前にして劉表は病死し,子の琮(そう)は荆州をあげて曹操に下った。
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