加久藤城跡
かくとうじようあと
[現在地名]えびの市小田
川内川北岸の丘上にあった。東側を同川支流二十里川が流れ、北方背後は山となっている。「三国名勝図会」には「山形四面は皆絶壁にして天険の城地なり」と記される。少し隔てた南方には新城があった。
永禄七年(一五六四)北原氏に代わって真幸地方を与えられた島津忠平(義弘)は、伊東氏に備えるため飯野城を修復し、さらに加久藤城を築いた。同年一一月一七日忠平は飯野城に入り、加久藤城には夫人広瀬氏を置いたという(島津国史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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