日本の城がわかる事典 「加久藤城」の解説 かくとうじょう【加久藤城】 宮崎県えびの市加久藤にあった要害の山城(やまじろ)。城の周囲が断崖となっており、山頂部に本丸・二の丸、東側に新城を配置した縄張りで、遺構は本丸にある神社の本殿裏に低い土塁、二の丸北側にも草に覆われた土塁が残っていた。城は応永年間(1394~1428年)に真幸院領主北原氏によって築かれた。1560年(永禄3)、北原兼守が死去したのち、後継をめぐって都於郡(とのこおり)城主伊東義祐(よしすけ)の横槍もあり、1562年(永禄5)に至り北原氏は滅亡。その後、1564年(永禄7)に飯野城主となった島津義弘の所領となり、1590年(天正18)まで義弘夫人が居住していた。1572年(元亀3)、伊東氏の攻撃を受けたが木崎原の戦いで島津氏が勝利し、伊東氏衰退の原因となった。その後、南郷若狭守が城主となったが、1615年(元和1)の一国一城令により廃城となった。JR吉都線えびの駅から徒歩約35分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報