加古大池
かこおおいけ
稲美町の北中央部に位置する。万治三年(一六六〇)または同四年の築造といわれる(「当村開発由緒」「大切之書類証文類控」沼田家文書)。普請は姫路藩により行われ、人足一万二一七人、扶持米一人につき一日七合五勺が与えられ、樋や柱など用材はすべて藩の負担であった(貞享二年「加古新村開発につき口上」加古土地改良区蔵)。もとは大池・北池・跡池・中池・五軒屋池の五池に分れていた。当初の水源は草谷の風呂谷池でそこから延長三キロにわたって開削されたが、開発の進展で用水不足となった。そのため延宝八年(一六八〇)草谷川から取水する大溝用水を作ることになった(「新溝普請につき取替手形」加古土地改良区蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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