加古祐二郎(読み)カコ ユウジロウ

20世紀日本人名事典 「加古祐二郎」の解説

加古 祐二郎
カコ ユウジロウ

大正・昭和期の法哲学者 立命館大学教授。



生年
明治38(1905)年12月2日

没年
昭和12(1937)年7月20日

出身地
京都

学歴〔年〕
京都帝国大学法学部〔昭和5年〕卒

経歴
大学在学中、加藤正とエンゲルスの「自然弁証法」を翻訳。大学院ではパシュカーニスの法理論を学ぶ。末川博、ついで恒藤恭教授に師事。昭和8年京大法学部講師となるが、同年8月滝川事件のため恒藤、末川らとともに退官。立命館大法学部助教授となり、9年教授に就任。法理学・社会法を担当した。11年「世界文化」に参加、「法律学における政治的性格」を発表し、ファシズムに抵抗した。主要論文9篇は恒藤の手で編集され、23年「理論法学の諸問題」として発刊(39年「近代法の基礎構造」と改題)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加古祐二郎」の解説

加古祐二郎 かこ-ゆうじろう

1905-1937 昭和時代前期の法学者。
明治38年12月2日生まれ。末川博,恒藤恭(つねとう-きょう)に師事。昭和8年母校京都帝大の法学部講師となるが,同年滝川事件で辞任。9年立命館大教授。11年新村猛(たけし)らの「世界文化」に参加し,ファシズム反対の立場をつらぬいた。昭和12年7月20日死去。33歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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