民法学者。山口県に生まれ,第三高等学校を経て,京都帝国大学法学部を卒業。同大学助教授となり,欧米に留学した後,1925年同大学教授となったが,33年,いわゆる滝川事件のために退官し,大阪商科大学(現,大阪市立大学)教授を経て,45年に立命館大学学長,次いで総長となり,69年退任。
民法の各分野および労働法にわたって膨大な著述をしたが,とくに権利論の分野で著しい業績をあげた。権利に社会的制約があることを主張した《不法行為並に権利濫用の研究》(1933),民法709条の権利侵害の要件を拡大して違法性におきかえるべきことを説いた《権利侵害論》(1929)は,いずれもその後の通説・判例を形成し,立法にも影響を与えている。学風は,ドイツ学説の影響を受け,緻密かつ論理的であるとともに,判例を出発点として理論を構成する現実的・社会的関心に支えられている。第2次大戦後は,大学人,評論家,啓蒙家としての活躍が目だった。主要著書としては,上記のほか,《所有権・契約その他の研究》(1939),《物権法》(1928),《契約法》(1958),《末川博随想全集》全9巻(1971)等多数。
執筆者:平井 宜雄
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大正・昭和期の民法学者,随筆家 立命館大学名誉総長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
民法学者。山口県出身。1917年(大正6)京都帝国大学法科大学卒業、25年同大学教授、33年(昭和8)京大事件で同大学を辞職して、40年大阪商科大学(現大阪市立大学)教授、45年(昭和20)には立命館大学総長に就任、69年退職した。民法学の分野では、その緻密(ちみつ)な理論によって数々の業績をあげた。たとえば、『権利侵害論』は、民法第709条の権利侵害を違法性に置き換えることによって不法行為法の構造を変えた。他方、立命館大学総長としては、大学の民主化を図り、いわゆる立命館方式(協議会方式)をつくりあげた。著書、論文は多数に上る。『民法における特殊問題の研究Ⅰ・Ⅱ』(1925)、『権利侵害論』(1930)、『権利濫用の研究』(1949)、『物権法』(1956)、『契約法(上)』(1958)、『法律』(1961)、『占有と所有』(1962)、『契約法(下)』(1975)などがある。
[淡路剛久]
『末川博先生追悼文集編集委員会編『追想末川博』(1979・有斐閣)』
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