法哲学者。明治21年12月3日島根県松江市に生まれる。第一高等学校時代菊池寛(かん)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)らと親交を結ぶ。1916年(大正5)京都帝国大学法科大学を卒業後、19年同志社大学教授を経て、22年京大助教授、29年(昭和4)同教授となる。33年滝川事件に際し節を全うして退官した。その後大阪商科大学(現大阪市立大学)の講師、教授を経て、第二次世界大戦後は49~57年(昭和24~32)まで大阪市立大学学長を務めるとともに、京大に復職して京大教授を兼任(1946~49)した。49年学士院会員となり、62~65年日本法哲学会理事長を務めた。66年文化功労者。初期には新カント主義の影響下で、シュタムラー、ラスクなどを祖述したが、やがて、生の哲学(ディルタイ、ジンメルなど)、ヘーゲル哲学などの影響下で、独自の法思想を説いた。主著には『法律の生命』(1927)、『法の基本問題』(1936)、『法的人格者の理論』(1936)、『哲学と法学』(1969)、『法の精神』(1969)、『法と道徳』(1969)などがある。昭和42年11月2日死去。
[長尾龍一]
『山崎時彦編『若き日の恒藤恭』(1972・世界思想社)』▽『恒藤恭著『旧友芥川龍之介』(初版・1947・朝日新聞社/復刻版・1983・日本図書センター)』
大正・昭和期の法哲学者 大阪市立大学総長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
法哲学者。一高で芥川竜之介,菊池寛らと親交を結び,京都帝国大学法科大学へ進み,大学院で国際法を専攻。1929年京都帝国大学法学部教授となり法理学講座を担当したが,33年滝川事件のため退官,45-57年大阪商科大学(後に大阪市立大学)学長。49年学士院会員,66年文化功労者。新カント学派法哲学の研究から出発して,社会・人文諸科学の成果を幅広く摂取しつつ,独自の法哲学的立場の構築に努めたほか,国際法・政治思想史など,多方面にわたって活躍した。第2次大戦後は,末川博らと〈関西憲法問題研究会〉をつくり,護憲運動にも尽くした。主著として《法の基本問題》(1936),《法的人格者の理論》(1936),《法の本質》(1968)などがある。
執筆者:田中 成明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新