加太宿(読み)かぶとじゆく

日本歴史地名大系 「加太宿」の解説

加太宿
かぶとじゆく

[現在地名]関町加太市場・加太板屋

近世東海道の関宿から分れ、上野城下方面に通じる大和街道の宿場。東は関宿へ一里半、西は柘植つげ宿(現阿山郡伊賀町)へ二里八丁を継送る(五駅便覧)。慶長一一年(一六〇六)二月六日、はやし(現安芸郡芸濃町)城主織田信重から次の定(三国地志)が与えられた。

<資料は省略されています>

享和二年(一八〇二)の宿方明細書上帳(尼ヶ崎市村田利市氏蔵)によれば、本陣北在家きたざいけより一丁半ほど東の板屋いたやにあり、高札場・問屋場は本陣より一五町三六間ほど離れた市場いちばにあった。また「当宿之内、板屋町・市場之内ケ成之旅籠四、五軒御座候」とある。脇街道のため幕府指定の助郷はなかったが、同明細書上帳には、多数の人馬が必要の時は津藩・久居藩の領内から集めるとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む