加江田川(読み)かえだがわ

日本歴史地名大系 「加江田川」の解説

加江田川
かえだがわ

宮崎平野の最も南縁を流れ、宮崎市曾山寺そさんじ日向灘に注ぐ全長約二〇キロの二級河川。源流域は鰐塚わにつか山地(日南山地)三文字さんもんじ(五一九・一メートル)岩壺いわつぼ(七三七・六メートル)の北面で、旧飫肥おび街道(現主要地方道宮崎―北郷線)の一部がその鞍部を通っている。沖積平野の形成は河口からおよそ五キロ上流の宮崎市たけうち地区までで、そこから上流はV字谷が刻まれる。

中世には加江田川の北側に突出する丘陵上に加江田城(車阪城)が築かれており、伊東氏と島津氏の争奪の場となっていた。応永三一年(一四二四)油津あぶらつ(現日南市)に遠征した島津久豊は、伊東安芸守の守る加江田城を攻撃するため水軍を組織し出航した。内海うちうみからは二隊に分け、一隊は七浦ななうらを航行し、もう一隊は折生迫おりゆうざこ浜辺を巡り陸路を進み、同城を取囲んでいる。七浦を航行した水軍は加江田川を遡上したものとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報