加治木町(読み)かじきちよう

日本歴史地名大系 「加治木町」の解説

加治木町
かじきちよう

面積:四七・五〇平方キロ

姶良郡の中央部南端に位置し、東は隼人はやと町、北東は溝辺みぞべ町、西は姶良町に接し、南は鹿児島湾に面する。町域は南部の網掛あみかけ川・日木山ひきやま川沿いの低地部と北部のシラス台地・山間渓谷に二分される。海岸沿いを国道一〇号が東西に走り、その北側をJR日豊本線・九州自動車道および隼人道路が走る。加治木の旧城下にあたる加治木インターチェンジは鹿児島空港・国道一〇号・隼人道路との接点にあり、将来は九州自動車道と東九州自動車道との加治木ジャンクションとなる。

南部の低地部、北部のシラス台地ともに遺跡の立地がみられる。三代寺さんだいじ遺跡は蔵王ざおう(一六四メートル)の麓斜面に位置する縄文時代早期を主体とする遺跡で、石器は石鏃・石匙・石皿・凹石、黒曜石製の剥片石器などが出土しており、とくに黒曜石は一千九〇〇点出土。同遺跡では数棟の建物跡と青磁白磁・備前焼・瓦質土器・土師器なども出土し、室町時代を主とする寺院跡と推定される遺構も検出されている。日木山洞窟は安山岩からなる崖面に水食によって形成された洞穴で、縄文前期の住居跡である。干迫ほしざこ遺跡は縄文前期から後期にかけての遺跡で、とくに後期遺物の出土量は驚異的で、中・北九州方面からの土器が大量に出土していることは、当時の盛んな交流を示唆している。弥生時代から古墳時代の遺跡には建馬場たてばば遺跡・黒川くろかわ遺跡・木田きだ遺跡・岩原いわばる遺跡・三代寺遺跡などがある。


加治木町
かじきまち

[現在地名]加治木町本町・朝日町・仮屋町・錦江町など

加治木島津氏の領主仮屋(現仮屋町の加治木高校を中心とした一帯)の南につくられた町場。段土たんど村から木田きだ村に及ぶ。加治木浦と一体のものとみなされ、「三州御治世要覧」に加治木郷の「野町」とみえる。慶長一二年(一六〇七)平松ひらまつ(現姶良町)から加治木に移った島津義弘は、易学者黄(江夏)友賢に命じて居館を段土村御里おさと(現仮屋町於里)策定、同時に町の区画を定めた(加治木郷土誌)。加治木古今雑撰(加治木町立郷土館所蔵)によると、加治木町は屋敷高六七石余、むかえ(現錦江町地内の向江町)よこ町、上西かみにし町・下西町(現本町地内の西町)上蒲生田かみかもだ町・下蒲生田町(現同上の蒲生田)銭屋ぜにや(現同上の新町)上中かみなか町・下中町上今かみいま町・下今町(現朝日町地内の今町)上毘沙門かみびしやもん町・下毘沙門町(現同上の毘沙門)上浜かみはま(現同上の上浜)、下浜町(現港町地内の下浜)の一五町からなり、反別の最大は上今町一町四反余で計九町三畝一三歩、人口二千一六二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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