日本歴史地名大系 「口之津村」の解説
口之津村
くちのつむら
現口之津町域のすべてを村域とする。古くから津湊として知られ、島原街道筋には一里山が置かれていた(慶安二年肥前国道法帳)。口之津に臨む地域から北部にわたる西大屋名に
町名の白浜海岸に花十字紋樽型のキリシタン墓碑(県指定史跡)がある。一六一二年(慶長一七年)のキリシタン迫害前は
元和三年(一六一七)のローマ教皇パウロ五世の迫害を慰問する勅書に対する同六年の日本信徒奉答文(ヴァチカン古文書館バルベリニ文書)に「口津町」の嶺助太夫(上ちん)・長井宗半(かすはる)・荒木長右衛門尉(とめい)が署名している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報