日本大百科全書(ニッポニカ) 「加津佐」の意味・わかりやすい解説
加津佐
かづさ
長崎県南東部、島原半島南部の南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(加津佐町(まち))。現在は南島原市(みなみしまばらし)の南西端部を占める。旧加津佐町は1928年(昭和3)町制施行。2006年(平成18)深江(ふかえ)、布津(ふつ)、有家(ありえ)、西有家、北有馬(きたありま)、南有馬、口之津(くちのつ)の7町と合併、市制施行して南島原市となった。古くは笠津(かさつ)ともよばれた。天正(てんしょう)年間(1573~1592)には天主教(カトリック)の中心地で、愛宕(あたご)山北麓(ほくろく)にはキリシタン学校(コレジオ)遺跡があり、海岸の砂丘上にはキリシタン墓碑がある。現在、海岸は海水浴場となっている。明治・大正時代には女島(めしま)の南側を外国人、北側の前浜(まえはま)を日本人の海水浴場とした。街の背後は標高200メートル内外の丘陵で、丘陵上では温州(うんしゅう)ミカン、福原オレンジ、ジャガイモを産出。堀川、津波見(つばみ)川流域は米作地で、堀川の河口一帯は干拓地である。野田浜の砂丘によって陸繋(りくけい)されている岩戸山(いわどやま)(鰹(かつお)山)には、亜熱帯植物が繁茂する樹叢(じゅそう)(国指定天然記念物)があり、巌吼(がんく)寺、岩戸観音、穴観音がある。
[石井泰義]