加符村(読み)かふむら

日本歴史地名大系 「加符村」の解説

加符村
かふむら

現佐原市東部の多田ただのうち加室かむろ付近とみられる(「香取私記」など)小野おの川上流、綱原つなはら村の東に接して南に開いた小谷津とその谷津上の台地付近となり、南は織幡おりはた村、北は多田村に接すると考えられるが、「下総国旧事考」には「加符ト云ハ丁子村ノ内ナルベシ。同書ニフチカブと云地アリ」、また「加符ハ香取ヨリ脇高ヘユク道ニ田所ヤシキアリ。是ヲカブト云」とある。加府とも記される。建久五年(一一九四)五月日の関白前太政大臣藤原兼実家政所下文写(香取文書、以下断りのない限り同文書)に「相根・加符両村」とみえ、前神主の大中臣重房(知房)と神主中臣助康が両村をめぐって相論をし、助康が勝訴して政所下文を与えられたという。寛元元年(一二四三)権禰宜有助らは神官らの自作田および神田をめぐって織幡・多田郷地頭千葉氏一族の平胤平・多田有朝らを訴えたが、地頭らは「織幡・加符・多田三ケ所」は織幡・多田郷地頭の有朝らに至るまで四代相伝の所領で、神役を勤めてはいるが地本は地頭の支配下にあると主張している(同年九月二五日関東下知状写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む