多田郷(読み)おおたごう

日本歴史地名大系 「多田郷」の解説

多田郷
おおたごう

現海南市の北端部に位置した。古代は旦来あつそ(和名抄)に含まれた地と思われる。治安三年(一〇二三)一一月二三日の太政官符案(国立史料館蔵名草郡古文書所収薬王寺文書)によれば三上みかみ院にある薬勝やくしよう(跡地は現和歌山市)の所領田の一つに「多太参町 旦来四図三里坪壱町 捌坪壱町 玖坪壱町」と記される。久安元年(一一四五)一一月一日の秦宿禰守利私領売渡状案(間藤家文書)には、三上院一二郷の一つとして「多田郷」がみえる。

郷内には千光せんこう寺があり、別当湛慶は秦守利より三上院の地を譲られて重禰しこね別所べつしよ願成がんじよう寺を建立、その別当を兼ねた。元暦二年(一一八五)七月一二日付の左近衛府生秦某下文案(間藤家文書)によると、秦氏が三上庄荘官に「千光寺侍従殿」の指図に従うよう命じている。


多田郷
ただごう

多田庄内の中心郷。単に本郷ともいう。嘉暦三年(一三二八)一一月一九日の政所沙弥某寄進状(多田神社文書、以下同文書)に「多田郷」とみえ、郷内の柳谷やなぎたに真光名田が平野ひらの社の灯油田として寄進されている。康安元年(一三六一)一二月一日の沙門祖恂往生院別当職等譲状には多田郷往生おうじよう院、貞治元年(一三六二)一〇月二九日の尼玉阿田地寄進状に「多田郷平井名」とある。また同二年一一月一五日の源仲房茶園寄進状には「多田郷内一樋」とあり、茶園があった。応安元年(一三六八)四月八日の多田院の金堂供養棟別銭注文に本郷分三七九家、永和元年(一三七五)七月二五日の諸堂造営棟別銭郷村注文にも多田郷三七九家とあり、注記にある芋生いもう柳谷井内のほか、多田院近辺にありながらここに記されていない現東多田・西多田・新田しんでん山問やまとうなども当郷に含まれていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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