加納出村
かのうでむら
上庄川最下流の北岸、東は富山湾に面し砂丘が広がっていた。西は上庄川下流の沼沢地で雨が続くと洪水になる地域であった。上庄川は蛇行川であったが、寛文元年(一六六一)加賀藩直営事業として直流川に直す大改修事業が始まり、同三年上庄川切替工事が完成する(加納区有文書)。二宮往来の西側の古川跡は横浜とよばれ、開墾可能と考えた下余川村百姓惣助は、天和三年(一六八三)その申請を出し、元禄元年(一六八八)許可され、加納村仁平の協力を得て同三年までに一四石四斗二升を開墾した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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