加納郷(読み)かのうごう

日本歴史地名大系 「加納郷」の解説

加納郷
かのうごう

京都長講堂領平田ひらた庄の内。同庄の加納田(本免田の付属地)のうち東に延びた部分が地名化したものと考えられる。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂領目録(島田文書)に「革手加納郷」とみえ、京都六条殿(後白河院御所)で使用するため、正月の元三雑事として御簾・御座、殿上で使用する京莚紫畳・砂、二月の春の彼岸布施の布、三月の御八講の砂、四月・一一月に更衣の畳・移花などを納めるほか、五月には仕丁一人、九月の中―下旬二〇日間には楊梅小路に面した門の兵士三人を出すことになっていた。鎌倉中期頃と推定される年月日未詳の六条殿修理料支配状写(八代恒治氏旧蔵文書)では、「革手加納郷」として油小路に面した築垣一本を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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