精選版 日本国語大辞典 「貞成親王」の意味・読み・例文・類語
さだふさ‐しんのう ‥シンワウ【貞成親王】
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伏見宮(ふしみのみや)栄仁親王の子。後花園(ごはなぞの)天皇の父。生母は西御方で中納言三条実治の女(むすめ)。1411年(応永18)40歳で元服。兄治仁(はるひと)王の死後46歳にして伏見宮家を継ぎ、25年4月後小松(ごこまつ)上皇の猶子(ゆうし)となって親王宣下を受けた。ほどなく、病弱で継嗣(けいし)のない称光(しょうこう)天皇にかわって貞成が皇位を嗣(つ)ぐであろうという噂(うわさ)がたち、事態を憂えた後小松上皇の意を受けて、同年7月には剃髪(ていはつ)した。法号道欽(どうきん)。28年(正長1)称光天皇が没すると、貞成の子彦仁(ひこひと)親王が後小松上皇の猶子となって践祚(せんそ)し、後花園天皇となった。貞成は太上(だいじょう)天皇の尊号を懇望し、47年(文安4)これを受けた。康正(こうしょう)2年8月29日没。諡号(しごう)を後崇光院(ごすこういん)という。旺盛(おうせい)な好奇心・知識欲をもって書かれた日記『看聞御記(かんもんぎょき)』が自筆原本で伝わっている。ほかに後花園天皇のために皇統について著した『椿葉記(ちんようき)』や歌集『沙玉(さぎょく)集』がある。
[田中博美]
『横井清著『看聞御記「王者」と「衆庶」のはざまにて』(『日記・記録による日本歴史叢書16』1979・そしえて)』
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…1416年(応永23)1月1日から48年(文安5)4月7日までの記事からなる(一部欠)。筆者は貞成(さだふさ)親王(伏見宮)。自筆の原本全44巻(うち第1巻は書状の包紙などを収む)が宮内庁書陵部に伝存する。…
…このため親王の即位はついに実現せず,さらに父天皇の没後はそれまで伝領してきた長講堂領以下の持明院統の所領も朝廷に召し上げられたため親王はすこぶる窮境に陥ったが,やがて伏見荘をはじめ若干の所領を回復して一家の存続を維持し,伏見宮創立の基を開いた。親王の後はその子の治仁王,貞成(さだふさ)親王が相承したが,一方後光厳天皇の皇統は後円融天皇,後小松天皇を経て称光天皇に至って絶えたため,貞成親王の王子彦仁王が後小松上皇の猶子に迎えられて皇位につき,後花園天皇となった。この間の事情は貞成親王の著《椿葉記(ちんようき)》に詳しいが,ここに至って皇位は崇光天皇の子孫に帰するとともに,伏見宮の地位は安泰となり,第24代博明王が1947年に皇籍を離脱するまで,およそ550年の長きにわたって相承された。…
※「貞成親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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