貞成親王(読み)さだふさしんのう

精選版 日本国語大辞典 「貞成親王」の意味・読み・例文・類語

さだふさ‐しんのう‥シンワウ【貞成親王】

  1. 伏見宮栄仁親王の子。後花園天皇の父。諡号(しごう)は後崇光院。応永三二年(一四二五親王宣下。翌年出家。後花園天皇の践祚(せんそ)の後、太上天皇尊号を受けた。著書椿葉記」、日記看聞御記」。法名道欽。応安五=文中元~康正二年(一三七二‐一四五六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貞成親王」の意味・わかりやすい解説

貞成親王
さだふさしんのう
(1372―1456)

伏見宮(ふしみのみや)栄仁親王の子。後花園(ごはなぞの)天皇の父。生母は西御方で中納言三条実治の女(むすめ)。1411年(応永18)40歳で元服。兄治仁(はるひと)王の死後46歳にして伏見宮家を継ぎ、25年4月後小松(ごこまつ)上皇猶子(ゆうし)となって親王宣下を受けた。ほどなく、病弱継嗣(けいし)のない称光(しょうこう)天皇にかわって貞成が皇位を嗣(つ)ぐであろうという噂(うわさ)がたち、事態を憂えた後小松上皇の意を受けて、同年7月には剃髪(ていはつ)した。法号道欽(どうきん)。28年(正長1)称光天皇が没すると、貞成の子彦仁(ひこひと)親王が後小松上皇の猶子となって践祚(せんそ)し、後花園天皇となった。貞成は太上(だいじょう)天皇の尊号を懇望し、47年(文安4)これを受けた。康正(こうしょう)2年8月29日没。諡号(しごう)を後崇光院(ごすこういん)という。旺盛(おうせい)な好奇心・知識欲をもって書かれた日記『看聞御記(かんもんぎょき)』が自筆原本で伝わっている。ほかに後花園天皇のために皇統について著した『椿葉記(ちんようき)』や歌集『沙玉(さぎょく)集』がある。

[田中博美]

『横井清著『看聞御記「王者」と「衆庶」のはざまにて』(『日記・記録による日本歴史叢書16』1979・そしえて)』

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改訂新版 世界大百科事典 「貞成親王」の意味・わかりやすい解説

貞成親王 (さだふさしんのう)
生没年:1372-1456(文中1・応安5-康正2)

室町前期の皇親後花園天皇実父。栄仁(よしひと)親王の第2皇子。治仁王(はるひとおう)の弟。生母は三条実治(さねはる)の娘の治子(はるこ)。法号は道欽(どうきん)。諡号(しごう)は後崇光院(ごすこういん),後崇光太上天皇。《看聞(かんもん)日記》《椿葉記(ちんようき)》などの筆者。父の栄仁親王が皇位継承を果たしえぬままに死んだあと,兄の治仁王の急死にさいして46歳で伏見宮を継承し,苦心のすえに第1皇子の彦仁王(ひこひとおう)(後花園天皇)を称光天皇の後継として皇室に送りこむのに成功して,父祖の宿願を果たした。1447年(文安4)に後花園天皇より太上天皇の尊号を受け,56年に行年85歳で死んだ。御陵は京都市伏見区丹後町の伏見松林院陵。生前和歌をよくし,その作は《砂玉(沙玉)和歌集》(《群書類従》和歌部所収)や《図書寮叢刊 後崇光院歌合詠草類》に収録されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「貞成親王」の意味・わかりやすい解説

貞成親王
さだふさしんのう

[生]文中1=応安5(1372).3.25.
[没]康正2(1456).8.29. 京都
北朝第3代崇光天皇の孫,伏見宮栄仁 (よしひと) 親王の子,母は権中納言阿野実治の娘,大納言局阿野氏。後花園天皇の父。兄の治仁王死去ののち伏見宮を継ぎ,後小松天皇の猶子 (ゆうし) となり,応永 32 (1425) 年親王宣下を受けた。この宣下についての称光天皇の誤解を解くため,後小松上皇の言に従って剃髪し,法号を道欽と称した。貞成親王の子彦仁が後小松上皇の養子となり,称光天皇の跡を継いで後花園天皇となったため,文安4 (47) 年 11月太上天皇の尊号を受けた (後崇光院) 。日記『看聞御記』の宸筆の原本 42巻が現存。また後花園天皇のために皇統について記した『椿葉記』 (1巻) や御集『沙玉集』 (『後崇光院御集』) などがある。そのほか,『源氏物語』の会読を行わせ,『論語』『元亨釈書』などの談義を聴聞し,『八雲御抄』などの手写しの書も多い。陵墓は京都市伏見区丹後町の伏見松林院陵。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「貞成親王」の解説

貞成親王 さだふさしんのう

後崇光院(ごすこういん)

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367日誕生日大事典 「貞成親王」の解説

貞成親王 (さだふさしんのう)

生年月日:1372年4月25日
南北朝時代;室町時代の伏見宮栄仁親王の子
1456年没

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世界大百科事典(旧版)内の貞成親王の言及

【看聞日記】より

…1416年(応永23)1月1日から48年(文安5)4月7日までの記事からなる(一部欠)。筆者は貞成(さだふさ)親王(伏見宮)。自筆の原本全44巻(うち第1巻は書状の包紙などを収む)が宮内庁書陵部に伝存する。…

【伏見宮】より

…このため親王の即位はついに実現せず,さらに父天皇の没後はそれまで伝領してきた長講堂領以下の持明院統の所領も朝廷に召し上げられたため親王はすこぶる窮境に陥ったが,やがて伏見荘をはじめ若干の所領を回復して一家の存続を維持し,伏見宮創立の基を開いた。親王の後はその子の治仁王,貞成(さだふさ)親王が相承したが,一方後光厳天皇の皇統は後円融天皇,後小松天皇を経て称光天皇に至って絶えたため,貞成親王の王子彦仁王が後小松上皇の猶子に迎えられて皇位につき,後花園天皇となった。この間の事情は貞成親王の著《椿葉記(ちんようき)》に詳しいが,ここに至って皇位は崇光天皇の子孫に帰するとともに,伏見宮の地位は安泰となり,第24代博明王が1947年に皇籍を離脱するまで,およそ550年の長きにわたって相承された。…

※「貞成親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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