加藤ふぢ(読み)カトウ フヂ

20世紀日本人名事典 「加藤ふぢ」の解説

加藤 ふぢ
カトウ フヂ

大正・昭和期の教育者 沼津淑徳女学院校長



生年
明治19(1886)年4月1日

没年
昭和47(1972)年5月10日

出生地
静岡県沼津市

旧姓(旧名)
岩崎

学歴〔年〕
日本女子大学国文学科〔明治40年〕卒,ワシントン大学卒,シカゴ大学

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和33年〕,勲四等瑞宝章〔昭和40年〕

経歴
明治40年日本女子大学を卒業して沼津に帰郷。42年アメリカに渡り加藤信次郎と結婚。3年間にわたって英語を学んだのち、ワシントン大学で教育学、シカゴ大学で家政学を修めた。大正14年、16年に及ぶアメリカ生活を終えて帰国。同年郷里に職業専門知識・技能の教育と女性の地位向上を目的とした沼津淑徳女学院を開き、その校長として人材育成に力を注いだ。戦後も夫の協力を得ながら教育事業を続け、のち同校は加藤学園として発展。47年5月に現役校長のまま死去した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤ふぢ」の解説

加藤ふぢ かとう-ふぢ

1886-1972 大正-昭和時代の教育者。
明治19年4月1日生まれ。42年アメリカで加藤信次郎と結婚。ワシントン大で教育学を,シカゴ大で家政学をまなぶ。大正14年郷里静岡県に沼津淑徳(しゅくとく)女学院(現加藤学園高)を設立。昭和47年5月10日86歳で死去するまで校長をつとめた。日本女子大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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