加藤元一(読み)かとうげんいち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤元一」の意味・わかりやすい解説

加藤元一
かとうげんいち
(1890―1979)

生理学者。岡山県新見(にいみ)の生まれ。1916年(大正5)京都帝国大学医科大学を卒業、同大学生理学教室に入り、1918年講師となる。同年12月新設された慶応義塾大学医学部の生理学教授に転任した。「麻酔時の神経興奮伝導」の研究に主力を注ぎ、1923年の第2回日本生理学会で「不減衰伝導学説」を発表した。この学説は国際的に高く評価され、1927年(昭和2)帝国学士院賞を受賞した。その後世界で初めて単一神経線維の実験に成功し、今日の神経生理学の発展に寄与した。1950年(昭和25)慶大定年退職アルゼンチンの生物学会および医学協会、アメリカ生理学会の各名誉会員、新見市名誉市民に推挙され、1976年日本学士院会員となる。著書には『生理学』The Microthysiology of Nerve(1934)、『The Theory of Decrementless Conduction in Narcotised Region of Nerve』(1924)などがある。

中山 沃]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「加藤元一」の解説

加藤 元一
カトウ ゲンイチ

大正・昭和期の生理学者 慶応義塾大学名誉教授



生年
明治23(1890)年2月11日

没年
昭和54(1979)年5月1日

出生地
岡山県新見町(現・新見市)

学歴〔年〕
京都帝大医学部〔大正5年〕卒

学位〔年〕
医学博士(京都帝大)〔大正9年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔昭和2年〕「神経の不滅衰伝導学説」,慶応義塾賞〔昭和27年〕,新見市名誉市民〔昭和33年〕,日本医師会最高優功賞〔昭和41年〕,勲二等瑞宝章〔昭和47年〕

経歴
大正7年慶応義塾大学教授、19〜27年同医学専門部長、35年定年退職し、名誉教授。この間34年国際生理科学連合理事に就任、40年第23回国際生理科学会議を主宰。著書に「不滅衰伝導学説」「微細生理学」「科学者の歩める道―不滅衰学説から単一神経繊維まで」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤元一」の解説

加藤元一 かとう-げんいち

1890-1979 大正-昭和時代の生理学者。
明治23年2月11日生まれ。大正7年慶応義塾医学科教授。12年発表の「神経の不減衰伝導学説」が第12回万国生理学会でみとめられ,昭和2年学士院賞を受賞。昭和54年5月1日死去。89歳。岡山県出身。京都帝大卒。著作に「生理学」など。

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