翻訳|physiology
生体の機能、すなわち生物の体の働きを研究する自然科学の一分野。生体の構造を研究対象とする形態学と対置されるが、両者は本来、不可分の関係にある。
[高橋景一・真島英信]
生命そのものは、自然科学の方法のみで完全に理解することはできない。しかし、心臓の拍動や呼吸など、生体の現す個々の生命現象は観察し実験することが可能であり、自然科学的な研究の対象になりうる。こうした考え方から、生理学とは、生命現象の仕組みを自然科学の方法を用いて解明する科学であるということができる。より具体的には、一つの生命現象を、それを構成しているいくつかの現象に分析できるとき、またそれらの部分現象を組み合わせて、もとの現象を説明できるとき、その現象の仕組みがわかったというのである。ある現象がこのようにして説明されると、さらにその部分現象の説明が必要となり、研究はしだいに分析的に発展していく。19世紀以来、生命の最小の単位は細胞であるとする考えが一般的になると、細胞の機能を研究することが生命現象を解明するうえで先決とされるようになり、細胞生理学が生まれた。細胞にみられる機能は多くの生物に共通したもっとも一般的な生命現象であるとする考えから、この立場からの研究は一般生理学ともよばれる。細胞の微細構造がわかってくると、細胞をさらに細分化して、種々の細胞内小器官を扱う細胞下生理学や、それらを構成する分子を扱う分子生理学といった分野も現れた。このように分析的研究が微視化の途をたどる一方で、脳の働きに代表されるような高次の生命現象、さらに個体全体を合目的的に総合し、制御している生命の仕組みも、生理学の対象として自然科学的に追究されている。すなわち、生理学は個々の生命現象の仕組みを明らかにするだけでなく、その合目的的意味までをも明らかにすることを目標にしている。
[高橋景一・真島英信]
生理学はその対象や研究方法によっていろいろに分かれる。対象とする生物によって、動物生理学、人体生理学、昆虫生理学、植物生理学、微生物生理学などがあり、生理機能によって、消化生理学、呼吸生理学、感覚生理学、運動生理学、生殖生理学などがある。電気生理学は、生物が示す電気現象の解明を目的とする生理学の一分野である。なお、人体生理学では、生理機能のなかで栄養、成長、生殖など動植物を通じて認められるものを植物性機能とよび、これに対して動物においてよく発達している運動、感覚、神経による相関の三者を動物性機能とよぶ習慣がある。また、生物体の構造上の準位に応じて、前述の細胞生理学のほかに組織生理学、器官生理学などがあり、組織や器官の種類によって筋肉生理学、神経生理学、心臓生理学、大脳生理学などが区別される。さらに、個体の行動のメカニズムを生理学的方法で研究する行動生理学、生体の機能に対する環境の影響を研究する環境生理学などの分野がある。発生生理学、遺伝生理学(生理学的遺伝学)などは、もともと形態学の領域に属していた発生学、遺伝学に生理学的研究法が導入されて生まれたものである。生理学を医学の基礎学問として考えるときは、人体生理学が中心となるが、病的状態を取り扱うものは病態生理学、臨床生理学である。
生理学はまた、研究の立場、方法論の点で一般生理学と比較生理学とに区別される。一般生理学は前述したように生物に共通した一般的な生命現象を研究することによって、生体の機能の基本的原理を追究しようとするもので、理論的、演繹(えんえき)的研究を特徴とする。これに対し、比較生理学は、多様な生物種間の比較研究を通じて生命現象の仕組みを理解しようとする立場で、経験的、帰納的研究に特色がある。しかし、これらの両者は相補的なものである。たとえば、最近の神経生理学の進歩はイカの神経を用いた一般生理学的研究の成果に負うところが多いが、その結論を人体を含めた他の生物の神経にどこまで拡張して適用できるか、また動物界を通じて神経の機能はどのように進化してきたかというような基本的な問いに対する答えは、比較生理学的研究によってのみ得られるものである。
[高橋景一・真島英信]
生理学にあたる「フュシオロギア」physiologiaというラテン語は「フュシス」physis(自然、体の意)と「ロゴス」logos(ことば、学問の意)というギリシア語に由来し、古代イオニアの自然学に発するとされるが、これを現在に近い意味で使い始めたのは、静脈内の弁を実験的に発見したイタリアのファブリキウスである。その弟子ハーベーは血液循環の発見者として有名であるが、その研究は、定量的把握をはじめ、実証的な近代生理学の方法を開拓したものとして重要である。18世紀の生理学はA・フォン・ハラーによって体系化された。19世紀に入ると、神経生理学がC・ベル、マジャンディらにより進歩した。19世紀後半から生理学は非常な勢いで発展するようになる。マジャンディの弟子であるC・ベルナールは一般生理学的立場を強く唱えるとともに、自ら実験的方法により多くの画期的業績をあげ、J・P・ミュラーの業績とともに現代につながる実験生理学の道を確立した。デュ・ボア・レイモンの電気生理学、ヘルムホルツの感覚生理学、一般生理学の創始者とよばれるフェルウォルンの刺激生理学、ロイブの走性や単為生殖の研究なども、19世紀後半から20世紀にかけての生理学上の重要な業績である。
[高橋景一・真島英信]
現在では、生物科学全体がかつてない規模で発達、変貌(へんぼう)を遂げるなかで、生理学も大きく変化しつつある。たとえば、細胞をはじめ、生体の微細な構造が分子のレベルで解明されてきた結果、生命現象を分子レベルで論ずることが可能になり、これまで、生理学と生化学、形態学等の間に存在した境界は薄れ、あるいは消滅した。これに伴って、生物物理学や分子生物学、細胞生物学などが新しく発展し、生理学の基礎に重要なかかわりをもつようになった。また、新しい測定技術の発達や、コンピュータの利用によって、従来厳密な解析が困難であった脳の活動や高等動物の個体レベルでの活動など複雑な生命現象の研究が盛んになった。さらに、人類の活動範囲が広がるにつれて、宇宙生理学のような新しい環境生理学の分野が生まれた。このように、生体の機能の研究は、その方法においても、対象においても多様化するとともに、生命科学のきわめて広い分野に直接に関係をもつようになった。
現在、日本の生理学関係の主要な学会としては、医学部出身者を中心とする日本生理学会(1922年設立)のほか、日本植物生理学会(1959年設立)、日本動物生理学会(1979年設立)などがあるが、生理学に関連する研究の発表は、このほかの多数の学会においても盛んに行われるようになっている。また、国際的な組織としては国際生理科学連合があり、3年ごとに国際会議を開いている。
なお、生理学的の語は、病理学的に対し正常状態をさして用いられることがある。
また、「植物生理学」については別項目とする。
[高橋景一・真島英信]
『真島英信著『生理学』(1978・文光堂)』▽『古河太郎・本田良行編『現代の生理学』(1982・金原出版)』▽『ギャノン著、松田幸次郎他訳『医科生理学展望』(1984・丸善)』▽『本郷利憲他編『標準生理学』(1985・医学書院)』
身体の正常な働きを研究する自然科学の一分野である。自然を意味するギリシア語のphysisを語源とし,本来は無生物を扱う物理学と並んで生命現象一般を対象とする学問であった。もともと〈自然学〉の意味で使われていたphysiologieを今日の生理学の意味に用いたのは,フランスの医者J.F.フェルネルがその大著のタイトルの一部に用いたのが最初(1554)とされる。近代生理学は,18世紀のW.ハーベーによる血液循環の研究に始まり,A.vonハラーその他の人々によって基本的な枠組みがつくられ,19世紀に入ると,J.ミュラーやC.ベルナールらによって実験生理学が開かれた。とくにベルナールの《実験医学序説》(1865)は今なお一般生理学の古典である。
生理学はそれ自身の発展と生物学,医学の分化に伴って,やがて病的状態を扱う病理学と分かれ,機能を探る学問として形態学と分かれ,さらにおもに物理的手法に依存するものとして生化学と分かれた。近年には薬剤の作用を中心に生命現象をみる薬理学とも分離して,生理学固有の分野が比較的狭く限定されるようになった。しかし正常な生命現象を扱う広義の生理学という意味で,形態学,生化学,薬理学などを含めた広い領域を生理科学と総称する。医学や生物学,あるいはそれに関連する日常会話では,〈生理学的〉ないし〈生理的〉ということばは,病理的ではない〈正常な〉という意味で用いられる。月経のことを生理というのはその好例である。
生理学の分野をその対象によって,人体生理学,動物生理学,植物生理学,細菌生理学などと呼ぶ。また人体生理学を動物機能の生理学と植物機能の生理学に分ける。動物機能の生理学は動物に特有の脳・神経系と筋肉を扱い,植物機能の生理学は呼吸,循環,消化,排出,生殖など植物にもある個体,種族の維持のための機能を対象とする。しかし両者の境界は必ずしも明確ではない。
生理学の内容には,生命現象の基本的,要素的な現象とそれに含まれる原理を追求する基礎生理学(あるいは一般生理学)と,身体の各種器官の働きを個別にしらべる器官生理学とがある。前者はたとえば,膜のイオン透過性,能動輸送,シナプス伝達,電気発生,興奮,抑制などを主要課題として取り扱い,後者は心臓,脳,腎臓などの各器官の働きをしらべ,それぞれの機能系としての性格を明らかにしようとするものである。基礎生理学が生体を種々の要素過程に分析し,還元しようとするのに対し,器官生理学ではシステム的な見方が重要である。近代的な生理学で用いられる技術は多様であるが,その一つに微弱な電気的変動を取り扱う技術がある。先端1μm程度の硝石電極を1個の細胞に刺し入れるかあるいはその近傍に置いて電気信号を導出する微電極法は現在広く用いられている。
執筆者:伊藤 正男+日高 敏隆
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…16~17世紀の科学革命とよばれる時代を担ったのは,聖職にあった学者と,医師たちである。生理学(フィジオロジーphysiology)という言葉を導入したということより,子午線1゜の正確な測定を初めておこなった(1545)人としてむしろ有名なのは,フランスの医師J.フェルネルであり,イギリスの医師レコードRobert Recorde(1510‐58)は,数式に+,-,=などの記号を導入,多項式の平方根の求め方を発見した。スイスのベルヌーイ一家は数学者を多数輩出しているが,そのうちヨハンJohann Bernoulli(1667‐1748),ダニエルDaniel B.(1700‐82)は医師である。…
…採集,狩猟,農耕,原始医術などにおける実地の知識は,原始時代から積み重ねられてきたはずだが,学問として体系化した最初の代表的人物はアリストテレス(前4世紀)であった。ガレノス(2世紀)はさらに医学の面から,解剖学およびこれと表裏一体のものとしての生理学の方向を確立した。これと,珍奇な生物や薬草の知識を主とする博物学とが,中世末までの生物学の内容であった。…
※「生理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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