加藤東一(読み)カトウ トウイチ

20世紀日本人名事典 「加藤東一」の解説

加藤 東一
カトウ トウイチ

昭和・平成期の日本画家 日展顧問。



生年
大正5(1916)年1月6日

没年
平成8(1996)年12月31日

出生地
岐阜県岐阜市

学歴〔年〕
東京美術学校日本画科〔昭和22年〕卒

主な受賞名〔年〕
日展白寿賞〔昭和30年〕,日展内閣総理大臣賞〔昭和45年〕「残照の浜」,日本芸術院賞〔昭和52年〕「女人」,勲三等瑞宝章〔昭和61年〕,神奈川文化賞〔平成3年〕,文化功労者〔平成7年〕

経歴
東京美校在学中に召集されるが、その後マラリアにかかり帰還。空襲で身内4人を亡くし、兄栄三も自殺。画面には絶えず暗い業火がただよう。戦後、高山辰雄らの日本画研究団体「一采社」に参加。昭和22年日展に初入選。以後、同展を中心に発表を続ける。堅牢マチエールと重厚な色彩で戦後日本画壇の中で異彩を放つ。52年「女人」で日本芸術院賞受賞ほか、多数受賞。平成5年に5年がかりで金閣寺大書院障壁画を完成させた。7年文化功労者。昭和56年日展理事、62年事務局長、平成元年〜3年理事長。人物、風景画に境地を開き、59年日本芸術院会員。代表作に「残照の浜」「女人」「ODORU」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤東一」の解説

加藤東一 かとう-とういち

1916-1996 昭和後期-平成時代の日本画家。
大正5年1月6日生まれ。加藤栄三の弟。山口蓬春(ほうしゅん)に師事。昭和22年日展に初入選,45年「残照の浜」が内閣総理大臣賞。52年「女人」で芸術院賞,59年芸術院会員。平成5年金閣寺の大書院障壁画を完成。7年文化功労者。日展理事長。平成8年12月31日死去。80歳。岐阜県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「加藤東一」の解説

加藤 東一 (かとう とういち)

生年月日:1916年1月6日
昭和時代;平成時代の日本画家。日展理事長
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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