朝日日本歴史人物事典 「勇山文継」の解説
勇山文継
生年:宝亀4(773)
平安初期の学者,漢詩人。河内国(大阪府)の出身。以前の事跡は未詳であるが,弘仁1(810)年連姓を賜る。時に従八位下。翌2年には外従五位下とめざましい昇進を果たし,大学助となる。同7年,嵯峨天皇に『史記』を講授した功により,従五位下に昇る。このときの文継の「師説」が訓点資料に残る。9年から14年の間に安野宿禰に改姓した。従四位下東宮学士に至る。『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』の勅撰3詩集のすべての選集に参与し,嵯峨天皇によって主導された,詩文の制作が国家経営に役立つという「文章経国」の思潮のもとで,学問の力によって栄誉を獲得した,時代の申し子的人物。
(後藤昭雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報