平安初期の勅撰第2漢詩集。3巻。818年(弘仁9)成立。書名は文(あや)のある美しく秀でた作を集めた詩集の意。嵯峨天皇の勅命を受けた藤原冬嗣が仲雄王(なかおおう)や菅原清公(きよとも)らに命じて編集させたことが,仲雄王の序文にみえる。作者26名(序文では数に入れていない嵯峨天皇,東宮淳和を加えて28名),詩数148首(現存本は5首欠)。梁の昭明太子撰《文選》の分類法を学び,遊覧,宴集,餞別,贈答(上巻),詠史,述懐,艶情,楽府,梵門,哀傷(中巻),雑詠(下巻)の11部門より成る。先行の《凌雲集》に比して,類題による配列は便利であり,次の《経国集》にも採用された。梵門や艶情の部門は《文選》になく,編集者の見識が知られる。勅撰詩集の性格上,応制(勅命による詠進)や奉和の詩が嵯峨帝を中心として官人との間に多く,また渤海人や女人の詩もみえる。七言が増加し,長編の詩や雑言体も加わり,書名の示すごとく文華の美への傾斜をねらう。
執筆者:小島 憲之
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平安前期の勅撰(ちょくせん)漢詩文集。818年(弘仁9)仲雄王(なかおおう)、菅原清公(すがわらのきよきみ)、勇山文継(いさやまのふみつぐ)、滋野貞主(しげののさだぬし)らによって編纂(へんさん)撰進された。詩を分類するのに、遊覧、宴集、餞別(せんべつ)、贈答、詠史、述懐、艶情、楽府(がふ)、梵門(ぼんもん)、哀傷、雑詠の11の部立てを立てるという斬新(ざんしん)な方法を用いている。勅撰集であるため応製(天皇の命によって詠進した詩)、奉和(天皇の詩に韻をあわせて奉ったもの)の詩が多く、また五言詩が47首、七言詩が96首と七言詩の比重が大きくなっており、ほかに賦(ふ)に近い長編の詩がとられている。所載詩人26人、詩数148首(ただし現存本は143首)。嵯峨(さが)天皇34首、巨勢識人(こせのしきひと)20首、仲雄王13首などが多数の入集(にっしゅう)者であるが、『凌雲集(りょううんしゅう)』に13首とられていた賀陽豊年(かやのとよとし)が一首も入集していないのが注目される。
[金原 理]
『小島憲之著『日本古典文学大系69 文華秀麗集』(1964・岩波書店)』
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平安初期の勅撰第2漢詩集。3巻。818年(弘仁9)成立。藤原冬嗣(ふゆつぐ)が菅原清公(きよとも)・仲雄(なかお)王・滋野貞主(しげののさだぬし)らとともに撰進。書名は文を花にたとえたもの。巻上は遊覧・宴集・餞別・贈答,巻中は詠史・述懐・艶情・楽府・梵門・哀傷,巻下は雑詠の各部門に分類され,「文選(もんぜん)」を参照した部門だて。「凌雲集(りょううんしゅう)」成立後4年間に多くの詩が作られたので,前集に漏れた詩と新しい詩を採録した。作者は嵯峨天皇をはじめ,皇太弟(淳和(じゅんな)天皇)以下28人を数える。嵯峨天皇の作品が最も多いが,官人や渤海(ぼっかい)客・女流詩人の作品も収める。「日本古典文学大系」所収。
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…勅撰漢詩集は,漢風謳歌の時代といわれる平安初期に,勅撰三集と総称される三つの集が編まれた。《凌雲新集》(《凌雲集》)1巻(814)は782年(延暦1)から33年間の作品をまとめた近代詞華集で,次いでこの集に漏れたものを含めて《文華秀麗集》3巻(818)が成り,さらに,707年(慶雲4)から約120年間の178人の作者,1000編余の作品を集めて《経国集》20巻(827)が王朝漢文学の一大集成として成った。王朝漢文学は,貞観~寛平期(859‐898)に黄金時代を迎えるが,なぜかそれ以後勅撰詩集は撰進されず,その役割を勅撰和歌集に譲る。…
※「文華秀麗集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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