勝尾岳城跡(読み)かつおだけじようあと

日本歴史地名大系 「勝尾岳城跡」の解説

勝尾岳城跡
かつおだけじようあと

[現在地名]平戸市鏡川町 西ノ久保

勝尾岳(六七・八メートル)に築かれた中世の城跡。史料上は白狐山びやつこざん城・遠見岳とおみだけ城とも称される。南北朝期に平戸松浦氏の勝が築城したとされ、のち隆信が崎方遠見の古館さきがたとおみのふるたちに移るまで平戸松浦氏の拠点となった。永享六年(一四三四)平戸松浦家芳(春江、二〇代という)のとき、宇久基が生月いきつき(現生月町)の加藤景明と通じて平戸を襲撃、これに生月の山田氏・一部氏、平戸島南部の下方しもがたの紐指氏、同じく津吉つよしの津吉氏、その一族西但馬らが連合して勝尾岳の白狐山城を包囲した。その攻撃で勝・芳父子が敗死、敗戦が濃厚になったとき、芳の弟で田平峰家を継いでいた義(天叟)が大島応の協力を得てこれをしのぎ、平戸を守った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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