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正宗 まさむね

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

正宗
まさむね

[生]文永1(1264)?
[没]康永2(1343)? 鎌倉
鎌倉時代末期の刀剣の名工。相模国鎌倉で作刀。号は岡崎五郎入道。新藤五国光の門下で藤三郎行光の養子といわれる。炭素量のわずかに異なる硬軟2種類の鉄を組合せた相州伝独特の地鉄 (じがね) を大成,日本刀の代表的刀工とされる。

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デジタル大辞泉の解説

まさむね【正宗】

岡崎正宗(おかざきまさむね)

の鍛造になる刀。また、一般に名刀。転じて、よく切れるもののたとえに用いられる。
清酒の銘柄。天保年間(1830~1844)灘(なだ)の酒造家山邑(やまむら)氏が名づけたもの。

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百科事典マイペディアの解説

正宗【まさむね】

鎌倉末期の代表的刀工。生没年不詳。作品にも年紀のある確実なものはないが,相模国鎌倉の住人新藤五(しんとうご)国光の門と伝え,国光が開拓した相州伝を完成した。沸出来(にえでき)の美しさを最大限に発揮し,地肌(じはだ)には美しく地景(ちけい)を交え,のたれ刃に特色のある独特の作風を樹立。
→関連項目相州物

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

正宗 まさむね

?-? 鎌倉時代の刀工。
新藤五国光(しんとうご-くにみつ)の弟子で,藤三郎行光の養子になったという。相模(神奈川県)鎌倉にすみ,沸出来(にえでき)の刃文の美しさを追求して相州伝を完成した。「京極正宗」などの数口(ふり)以外は無銘であるが,国宝の「観世正宗」「庖丁(ほうちょう)正宗」などの名物がつたわる。養子に貞宗。通称は五郎入道。俗称に岡崎正宗(岡崎は地名とも)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

正宗

生年:生没年不詳
鎌倉末期の相模国鎌倉の刀工。新藤五国光の弟子で,のち同門の行光の養子となったと伝える。新藤五国光に始まる相州物は,地沸が強く,地景の入った鍛えに,金筋,砂流しを強調した沸の強い刃文に特徴があるが,この作風(相州伝)を完成したのが正宗である。しかし,国光,行光が直刃の作が多いのに対し,湾れを主体に互の目を交えた沸の激しい乱れ刃の出来がほとんどである。太刀のほとんどは磨き上げられて無銘となっており,在銘作は名物の「不動正宗」,「大黒正宗」「京極正宗」のほか「本荘正宗」の4点の短刀のみである。全日本刀工第一の名工といわれているが,そう評価されるようになったのは桃山時代からで,豊臣秀吉は恩賞,贈答に盛んに正宗を用い,江戸時代の享保年間(1716~36)に編録された『享保名物帖』には168口の名物が掲げられるが,粟田口吉光,郷義弘 とともに三作にあげられ,その筆頭として41口と最も多くの作品が採録されている。<参考文献>本間順治『相州伝名作集』

(原田一敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

まさむね【正宗】

鎌倉末期の相模国鎌倉の刀工。生没年不詳。新藤五国光の弟子で,のち同門の行光の養子となったと伝える。一般に相州物は地沸(じにえ)が強く,地景(ちけい)の入った鍛(きたえ)に,沸の強い,金筋・砂流しのかかった刃文に特徴があるが,この相州伝といわれる作風を完成したのが正宗である。作刀は太刀と短刀があるが,太刀はほとんどが研ぎ上げられて無銘であり,有銘作は名物の〈京極正宗〉〈不動正宗〉〈大黒正宗〉のほか〈本荘正宗〉の4点の短刀があるにすぎない。

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大辞林 第三版の解説

まさむね【正宗】

○ 鎌倉末期の鎌倉の刀工。岡崎五郎入道と称し、また新藤五国光の弟子行光の子と伝える。近世以降刀工の代名詞のごとくその名は高いが、確実な在銘の作品はごく少なく、伝説的な部分が多い。名物、庖丁正宗・日向正宗などの作者と伝える。生没年未詳。
が鍛えた刀。日本における代表的な名刀とされ、名刀の意にも用いる。
なだの清酒の銘。天保年間(1830~1844)灘の山邑氏が名づけたのに始まるという。

まさむね【正宗】

姓氏の一。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正宗
まさむね

生没年未詳。鎌倉末期の刀工で、相模(さがみ)国(神奈川県)鎌倉の地で作刀した日本刀を代表する名匠。鎌倉鍛冶(かじ)の祖とされる新藤五国光(しんとうごくにみつ)を師とし、同門の行光(ゆきみつ)の養子となったと伝えられる。師の沸出来(にえでき)の直刃(すぐは)の作風から、行光のやや乱れて沸を強調した作風を経て、地鉄(じがね)の美しい鍛(きた)え肌に沸による刃文の変化の美を最大限に表現した、いわゆる相州伝(そうしゅうでん)の作風を完成させた。
 正宗の名は最古の刀剣書『観智院本銘尽(かんちいんぼんめいづくし)』に「五郎入道」と記されており、系図では新藤五国光となっているが、近世の『古今銘尽』をはじめとする刀剣書は「国光―行光―正宗」と3人をつなげている。すなわち、「岡崎五郎入道 行光子 十七歳ノ時 弘安(こうあん)三父行光ニ別ル 新藤五国光弟子ニ成 正応(しょうおう)頃廿五歳 建武(けんむ)頃七十一歳 文永(ぶんえい)元生 康永(こうえい)ニ死 八十一歳 建武ヨリ前諸国ヘ出 又七十五ニ出 七十七歳ノ時戻ル」と記しており、これは江戸末期の著述であって信憑(しんぴょう)性は高くないが、このような正宗の伝記が完成したのは、江戸時代になってからのこととみられる。
 正宗には有銘作が希有(けう)で、「京極正宗」「不動正宗」などの名物をはじめとする数口以外は無銘であり、後世本阿弥(ほんあみ)家が極めをして金象眼(ぞうがん)銘を入れたものも多い。現存する代表作には「観世(かんぜ)正宗」「中務(なかつかさ)正宗」「九鬼(くき)正宗」「日向(ひうが)正宗」「庖丁(ほうちょう)正宗」などの名物があり、いずれも国宝に指定されているが、そのほとんどが無銘であることから、明治期になると、正宗は実在しなかったとする「正宗抹殺論」が現れた。しかし前出の『観智院本銘尽』のほか正宗に関する記述は中世にすでにあり、刀剣書以外にも『尺素往来(せきそおうらい)』(室町中期成立)に「一代聞達者候」とあって名人と賞揚されており、不在論は当を得ていない。
 正宗の子または養子とされる彦四郎貞宗、また正宗・真宗の系統とされる広光・秋広が相州にて南北朝時代に活躍しており、江戸時代には孔子十哲になぞらえて「正宗十哲」があげられている。十人の名は刀剣書によって多少異なるが、郷義弘(ごうよしひろ)、金重(きんじゅう)、長谷部国重(はせべくにしげ)、兼光(かねみつ)、長義(ちょうぎ)、則重(のりしげ)、左文字(さもじ)、兼氏(かねうじ)、盛高(もりたか)、来国光(らいくにみつ)などである。これは後世の創作と考えられるが、正宗の出現後、このように全国の刀工に沸出来の作風が影響したことは事実である。[小笠原信夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の正宗の言及

【相州物】より

…その作風は,粟田口派の直刃を得意として,いちだんと地と刃の沸(にえ)が強くつき,刃中の金筋や砂流しなどの働きが豊富であって,ことに短刀の製作に秀で,太刀はきわめて少ない。その門人に行光と正宗がおり,正宗に至って相州伝の作風が完成された。この相州伝とは,硬軟の鉄を組み合わせて鍛えた板目に地景が入った美しい地肌と沸が厚くつき,金筋,稲妻,砂流しなどの働きが多い湾れ(のたれ)の刃文に特色がある。…

※「正宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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