20世紀日本人名事典 「勝山直久」の解説 勝山 直久カツヤマ ナオヒサ 明治・大正期の民権運動家,政治家 長野県議。 生年元治1年12月12日(1865年) 没年昭和3(1928)年10月6日 出生地信濃国高井郡沼目村(長野県須坂市) 旧姓(旧名)堀 経歴明治16年に自由党党員となり、自由民権運動に加わる。21年には政府の条約改正を不服とし、東山道信濃国の人民726名の総代として上京、元老院に「条約改正中止外建白書」を提出した。帰郷後は高井友誼会や信濃倶楽部創立委員会などで活動し、長野で行われた第3回東北十五州大懇親会にも参加。その後、郡会議員・名誉職参事会員などを経て40年長野県議に当選し、河東鉄道(現在の長野鉄道)の敷設に尽力した。晩年は東京に住んだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝山直久」の解説 勝山直久 かつやま-なおひさ 1865*-1928 明治-大正時代の自由民権運動家,政治家。元治(げんじ)元年12月12日生まれ。明治16年自由党にはいる。21年東山道信濃国(しなののくに)人民726人の有志総代となり,政府の条約改正案が不十分として反対する建白書を元老院に提出。36年長野県会議員。河東鉄道の敷設を計画し,長野電鉄の基礎をつくった。昭和3年10月6日死去。65歳。信濃(長野県)出身。旧姓は堀。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by