勝幡城跡(読み)しよばたじようあと

日本歴史地名大系 「勝幡城跡」の解説

勝幡城跡
しよばたじようあと

[現在地名]平和町六輪、海部郡佐織町勝幡

日光につこう川に架かる城西しろにし橋の南側左岸に「勝幡城址」の碑が立っている。「寛文覚書」には「古城跡 東西四十八間南北七十間 先年織田弾正忠信定、其子備後守信秀居城之由、信秀子信長公、於此城、誕生之由」とある。築城は永正元年(一五〇四)に織田信定と伝える。天文三年(一五三四)信長がこの城で生れた。同二年七月信秀に招かれた山科言継は、二〇日間ほど滞在し饗応された(言継卿記)。「尾張志」には次のごとく記している。

<資料は省略されています>

この記事では尾張国衙が勝幡城跡地にあったようだが、「府志」には「古国衙在此」として「又古有学校公廨等、皆在国府、今皆廃絶、不其所、可惜哉」と所在地は不明としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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