勝瀬村(読み)かつせむら

日本歴史地名大系 「勝瀬村」の解説

勝瀬村
かつせむら

[現在地名]富士見市勝瀬

鶴馬つるま村の北にあり、西部武蔵野台地東部東境を南流する新河岸川の沖積低地。西端を川越街道が南北に通る。小田原衆所領役帳には、江戸衆勝瀬孫六の知行地として入東につとう郡の「勝瀬之村」四三貫文が記される。当地は勝瀬氏の本貫地であろうか。田園簿では田二二二石余・畑一七七石余、旗本尾崎氏(二〇〇石)・同三浦氏(二〇〇石)の二給。元禄一〇年(一六九七)から川越藩領となり、以後同藩領で明治に至る(慶応四年川越藩村高帳)。元禄一四年検地が実施され、村高四七三石余、田二五町六反余・畑六八町六反余となる(享保一九年「川越藩領村高其外書抜帳」川越市立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む