富士見市(読み)フジミシ

デジタル大辞泉 「富士見市」の意味・読み・例文・類語

ふじみ‐し【富士見市】

富士見

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日本歴史地名大系 「富士見市」の解説

富士見市
ふじみし

面積:一九・七〇平方キロ

県南部東寄りに位置し、東はびんぬま(旧荒川流路、現新河岸川排水路)を隔てて大宮市、荒川を隔てて浦和市、南は北東へ流れる柳瀬やなせ川を隔てて志木市、西は入間いるま三芳みよし町・大井おおい町、北は上福岡市と川越市。武蔵野台地入間台の東縁部が荒川の沖積低地に落込む辺りを占め、入間台は小河川により勝瀬かつせ支台・鶴馬つるま支台・水子みずこ支台に分れ、沖積低地には南東流する新河岸川・荒川の自然堤防が発達している。西方台地上を東武東上線、ほぼ中央部新河岸川沿岸部を富士見川越有料道路が南東から北西へ走り、国道二五四号(川越街道)が西端をかすめる。南東部を南西から北東へと浦和所沢バイパスが通る。市名は昭和三一年(一九五六)入間郡鶴瀬つるせ村・南畑なんばた村、北足立郡水谷みずたに村が合併したとき、土地高燥で西に富士山が望めるところであるとして町名を新たに入間郡富士見村と名付けたことからきている。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は打越おつこし遺跡で最古の大型打製石器などが発掘され、次いで西松原にしまつばら遺跡・山室やまむろ遺跡・まつ遺跡・本目ほんめ遺跡などでナイフ形石器、尖頭器など多くの石器が出土している。縄文時代の遺跡は数多く確認されている。草創期のうえ遺跡では日本最古の土器である微隆起線文土器の破片と、有舌尖頭器・石鏃などが発掘された。早期末の打越遺跡では環状に並ぶ四五軒の竪穴住居跡と、多くの土器が発掘された。これらの土器のうち、口縁部にハイガイの縁で波形に押しつけた文様をもつ尖底深鉢は打越式土器と名付けられた。前期では貝塚遺跡が注目される。前期前半の関山式土器を伴う竪穴住居跡に貝類等を捨てた打越遺跡の貝塚群、前期後半の黒浜式土器を伴う竪穴住居跡に貝類等を捨てた水子貝塚が著名である。水子貝塚は径一六〇メートルの円形に六七ヵ所の環状地点貝塚からなることが確認されており、国指定史跡になっている。中期の遺跡も大規模なものが多い。松ノ木遺跡では竪穴住居跡が径約一八〇メートルの環状に三六軒あり、また羽沢はねさわ遺跡でも環状集落が確認されている。後期・晩期になると遺跡数は減少して規模も小さく、川水系の本目遺跡、関沢せきざわ遺跡などで数軒の竪穴住居跡が発見されているにすぎない。

弥生時代の遺跡は柳瀬川の沖積地に臨む台地縁辺に集中している。中期の南通みなみどおり遺跡の竪穴住居跡からは宮ノ台式土器や片刃の磨製石斧が発掘されている。後期では後期末から古墳時代初頭の集落跡が多く、南通遺跡では二〇八軒の竪穴住居跡が発掘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富士見市」の意味・わかりやすい解説

富士見〔市〕
ふじみ

埼玉県中南部,武蔵野台地荒川右岸の低地にある市。 1956年鶴瀬 (つるせ) ,南畑 (なんばた) ,水谷 (みずたに) の3村が合体し富士見村と改称。 64年町制したのち,72年市制。新河岸川が台地と低地の間に流れる。かつては米作,野菜栽培の純農村であったが,1960年代後半より,東京の近郊都市化が進み,東武鉄道東上線の沿線に大規模な住宅団地が建設されている。市の南部より富士見川越有料道路が北上,川越市に通じる。史跡の水子 (みずこ) 貝塚をはじめ縄文時代前期の遺跡が多い。面積 19.77km2。人口 11万1859(2020)。

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