勢多駅(読み)せたのえき

日本歴史地名大系 「勢多駅」の解説

勢多駅
せたのえき

古代東山道・東海道の駅。奈良時代末までは東海道は近江を通過していなかったので東山道のみの駅だが、長岡京の時代以後、平安時代を通じては東山・東海併用道の駅となる。「日本後紀」延暦二三年(八〇四)六月二六日条に「停山城国山科駅、加近江国勢多駅馬数」とあり、勢多駅がそれ以前から存在していたこと、平安時代になって山科やましな(現京都市山科区)の馬が当駅に移管されたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の勢多駅の言及

【勢多】より

…勢田,世多とも記される。古代の近江国府,勢多駅の所在地であり,対岸の古市郷(現,大津市膳所,石山付近)とともに同国の中枢部であった。琵琶湖が宇治(瀬田)川に流出する水陸の要衝であり,壬申の乱や藤原仲麻呂の乱にも戦略的拠点であったように,早くから交通の中心地であった。…

※「勢多駅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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