北中津山村(読み)きたなかつやまむら

日本歴史地名大系 「北中津山村」の解説

北中津山村
きたなかつやまむら

[現在地名]今立町国中くになか

行司ぎようじヶ岳東麓に位置し、南は南中津山村。村方嘆願書の類には必ず「地所八分通り水腐所ニ有之、其余南、山ヲ覆ひ日蔭勝ち稲成難村」と記され、地形的に恵まれない土地柄であった。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「中津山村」として高一〇七七・九石。正保郷帳によれば田方七四〇石余・畠方三三七石余。元禄郷帳で南北二村に分村し、北中津山村は村高四八七・六九五石。貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領となり、元禄五年(一六九二)以降一時土岐頼殷領となったが、再び幕府領となり、享保五年(一七二〇)鯖江藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む