越前(えちぜん)国今立(いまだて)郡鯖江(福井県鯖江市)に本拠を置く5万石の譜代(ふだい)藩。藩主間部(まなべ)氏。藩領域は越前3郡130か村、大部分が今立郡内で105か村、ほかは丹生(にう)郡に14か村と大野郡に11か村あった。
間部氏の元祖詮房(あきふさ)は、能楽師喜多(きた)六太夫の弟子であったが、徳川綱豊(つなとよ)(のち6代将軍家宣(いえのぶ))にみいだされ、のちその側用人(そばようにん)となり、上野(こうずけ)(群馬県)高崎城主となった。家宣・家継(いえつぐ)2代に近侍し、新井白石(あらいはくせき)とともに「正徳の治(しょうとくのち)」を行ったが、1716年(享保1)側用人を免ぜられて越後(えちご)(新潟県)村上に移封された。20年詮房没して弟詮言(あきとき)が家督を相続したが、領地は越前鯖江へ転封となった。当時の鯖江は、幕府の代官陣屋があったものの家数27戸の寒村にすぎず、城下町として整備されるには8か年を要した。戸口は、1868年(明治1)の記録によると888戸、3611人であった。
詮言を鯖江の初代とする同藩は、9代、150年間続いた。歴代藩主中でもっとも活躍したのは7代詮勝(あきかつ)であり、1840年(天保11)と58年(安政5)の二度老中の職についている。後の老中在任中では大老井伊直弼(なおすけ)を助けていわゆる「安政(あんせい)の大獄」を指揮したが、そのことで62年(文久2)領地1万石を削られ、隠居謹慎に処せられた。71年(明治4)廃藩、鯖江・敦賀(つるが)・石川各県を経て81年福井県に編入。
[舟澤茂樹]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…農業では大地主は生まれなかったが,越前海岸から若狭にかけての漁業が技術の先端を示した。そのほか福井藩五箇(ごか)の奉書や鳥の子紙,福井城下の絹織物,府中の打刃物,鯖江藩の漆器と漆搔き,大野藩の面谷(おもだに)銅山,勝山藩のタバコなどが著名。交通は,陸上で北陸街道(北国路)が北進し,近江国境の栃ノ木峠を越えた板取駅から加賀国境の細呂木(ほそろぎ)駅まで15駅置かれたほか,西街道,美濃街道などが通った。…
※「鯖江藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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