北二条西・北二条東(読み)きたにじようにし・きたにじようひがし

日本歴史地名大系 「北二条西・北二条東」の解説

北二条西・北二条東
きたにじようにし・きたにじようひがし

明治一四年(一八八一)厚田あつた通が改称して成立し(事業報告布令類聚)、はじめ北二条西一―四丁目、北二条東一―二丁目があった。西は明治二〇年北海道庁敷地内に西五―八丁目、同二三年元桑園から西九―二〇丁目(北海道庁布令全書)、大正一四年(一九二五)西二〇丁目から西二一丁目が成立し、昭和一六年(一九四一)には円山まるやま町字円山大通西おおどおりにし二〇丁目から西二二―二八丁目が成立。東は明治二三年に「麦酒醸造場裏新開道路左右」から東三丁目(北海道庁布令全書)、大正一四年東三丁目と苗穂なえぼ町の一部から東四―一五丁目が成立。その後区域・境界変更があり、現在は東一―二〇丁目がある(「新札幌市史」など)


北二条西・北二条東
きたにじようにし・きたにじようひがし

昭和二七年(一九五二)に設定された。北二条西は一―六丁目、北二条東は一―九丁目からなる。北一条西一―六丁目・北一条東一―六丁目の北に接し、中央ちゆうおう大通を挟んで南西から北東へ続く。南西はもと町、北東はおお町。中央道路(現国道三九号)北側に形成された新市街地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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