日本歴史地名大系 「北余部村」の解説 北余部村きたあまべむら 大阪府:南河内郡美原町北余部村[現在地名]美原町北余部丹南郡に属し、太井(たい)村・黒山(くろやま)村の西にある。西除(にしよけ)川が中央部を北流し、南村境を泉州堺と大和を結ぶ道が通る。集落の中心は西除川左岸にあったが、左岸は右岸に比べて低地のため出水の際に被害を受けやすく、度々左岸堤防の改修が行われた。もとは南余部村と一村であったと思われ、「河内国西琳寺縁起」に引く「天平十五年帳」にみえる「河内国丹比郡余戸郷」にあたると考えられる。分村の時期は不明だが、慶長一七年(一六一二)の水割符帳(田中篤家文書)に「北天辺」とみえ、狭山(さやま)池(現狭山町)大樋(おおひ)筋から取水し水懸高五六七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by