北家城村(読み)きたいえきむら

日本歴史地名大系 「北家城村」の解説

北家城村
きたいえきむら

[現在地名]白山町北家城

雲出くもず川上流左岸の段丘上にある。山田野やまだの村の南、西はふじ村、南は南家城みなみいえき村、対岸の東は川口かわぐち村。村名は「日本書紀」仁徳天皇紀四〇年春二月の項に、天皇の使により殺された隼別皇子と雌鳥皇女を埋めた「廬杵河いほきがはほとり」にちなむものとされている。また同書雄略天皇紀三年夏四月の項にみえる湯人の廬城部連武彦とその父枳喩も当地付近の豪族とされ、「廬城河いほきのかは」に誘って子を偽り殺したというこの河も雲出川のこととされる。廬城部は古代の鍛冶集団で、湯人は金属溶解に携わった者の意と解されている。

平安時代には南家城にかけて近衛家領家城庄が成立した。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)四月二九日条の公卿勅使伊勢国駅家雑事勤否散状によると、地頭東国の御家人常陸氏であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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