北廻城跡(読み)きたはざまじようあと

日本歴史地名大系 「北廻城跡」の解説

北廻城跡
きたはざまじようあと

[現在地名]桑名市下深谷部

下深谷部しもふかやべ中央の丘陵地にある平山城跡西林寺さいりんじ古墳と同じ場所にあり、山麓西林寺および深江ふかえ神社がある。北迫きたはざま城とも記す。延元年中(一三三六―四〇)に近藤家高が始めた城(伊勢名勝志)で、「桑名志」に「東西六十間程、南北八十間程アリ、長島一揆徒近藤右京佐拠シ所ナリ、伊勢諸雑記ニ言、北迫ノ城小城ナレ共、西方屏風立ナリ、未申ニ山続ノ道アレ共一騎打ノ細道ナリ、中壇ト上ト二重ニ塀ヲ掛タレハ攻ヘキ様ハナカリケリ、東梺ニハ家臣高野総右衛門屋敷ヲ構ヘ、東北ハ馬足モ不立深田ナリ、南ハ近藤彦太夫同十郎兵衛等屋敷ヲ構ヘ、県大明神ノ森茂リタリ、坤ノ方角梺ニハ比沙門堂、中壇ニハ地蔵堂アリ、西ハ大谷也、谷ヲ隔テ山上ニモ家中ヲ立云云」とあり、要害の城で、難攻不落であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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