川治村
かわじむら
[現在地名]藤原町川治
西方から流れる鬼怒川へ男鹿川が合流する一帯にある。北は五十里村。集落の中心は男鹿川右岸にある。近世初期には栗山郷(現栗山村)の一部と思われる。延宝元年(一六七三)の日光山目代山口忠兵衛触書(佐八文書)に村名がみえる。川路村とも記される。日光領。享保八年(一七二三)の五十里洪水では、村から二キロ上流が決壊個所だったため、地形がまったく一変するほどの大きな被害を受けた。この後集落移動があったと考えられるが不明。大通行時には日光街道鉢石宿(現日光市)の加助郷を勤めた。嘉永六年(一八五三)の仕法開始時の反別五町六反余(うち荒畑一町一反余)、家数一二・人数五八(日光領高反別其外調書)。
川治村
かわじむら
[現在地名]十日町市川治・妻有町西・妻有町東・城之古
川治川左岸と羽根川右岸の下流に立地。善光寺道が南北に通り、北は川治川対岸の山本村、南は羽根川対岸大黒沢村に続き、集落は道の両側に並ぶ。正保国絵図に「河治村」高四二七石余。天和三年郷帳では高三九〇石七斗余。宝暦五年(一七五五)の村明細帳(小千谷市立図書館蔵)では家数八二、男二七一・女二一二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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