沖洲浦(読み)おきのすうら

日本歴史地名大系 「沖洲浦」の解説

沖洲浦
おきのすうら

[現在地名]徳島市北沖洲きたおきのす一―四丁目・南沖洲みなみおきのす一―五丁目

大岡おおか浦の東方吉野川(別宮口)河口部右岸沖合にある島で、南部は新町しんまち川河口部の津田つだ口北方にあたる。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に沖洲とみえ、住吉すみよし島と安宅あたけ(古安宅)との間を東流して海に落ちる川の沖合の島(洲)として描かれる。「阿波志」には「在府城東半里而遥吐舌於海中、長松園繞細沙平敷、旧有沙嘴」と記される。慶長一九年の大坂の陣の際、長宗我部盛親に従った武藤左京は土佐を出たのち当浦で船を繋いで休息している(阿淡年表秘録)

当浦は北屋敷きたやしき・南屋敷・きたはま・上ノ段・ウラノ段・七反地ななたんじ・亀ノ生砂・沖ノ浦・大堤ノ東・船戸南・北堤ノ内・南堤ノ内・北ノ端・中張・高洲・小高洲・北新田元浦もとうら・中折から構成され、このうちの元浦(現南沖洲五丁目辺り)がまず最初に開発された所といわれている(わが町沖洲)。元和年間(一六一五―二四)に紀伊国名草なくさ太田おおだ(現和歌山市か)の太田太郎次郎が、蜂須賀家政の招きにより家臣一六世帯とともに福島ふくしま沖の砂洲であった元浦に移住し開墾した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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