北本所荒井町(読み)きたほんじよあらいちよう

日本歴史地名大系 「北本所荒井町」の解説

北本所荒井町
きたほんじよあらいちよう

[現在地名]墨田区本所ほんじよ一―二丁目・東駒形ひがしこまがた二丁目など

北本所表きたほんじよおもて町の南にあり、南・西は南本所荒井町など、西は清光せいこう寺地など。町地は数ヵ所に分れて散在する。もとは本所村の一部で、のちに同村が南本所村と北本所村に分れると北本所村の一部となった。万治二年(一六五九)本所一円が武家屋敷となった際田畑は上地となり、寛文九年(一六六九)居屋敷分が町屋に取立てられた。宝永二年(一七〇五)永々家作御免地となり、正徳三年(一七一三)町奉行と代官の両支配とされた。町名の由来は町内に晒井と称する井戸を新たに掘った際に近辺を新井と称したことによるもので、のちに荒井の文字に改められたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む