朝日日本歴史人物事典 「北条基時」の解説
北条基時
生年:弘安8(1285)
鎌倉末期の幕府執権。時兼の子。讃岐守,相模守を歴任。正安3(1301)年六波羅探題北方に就任し,嘉元1(1303)年まで在京。同3年引付頭人,正和4(1315)年13代執権となる。しかし幕政は内管領長崎円喜・高資父子らが掌握しており,翌年には執権職を得宗高時に譲って出家し,普恩寺入道信忍と称した。鎌倉幕府滅亡の正慶2/元弘3(1333)年,新田義貞軍をよく化粧坂に防いだが,高時ら一門と共に自害した。これより先,子息の六波羅探題仲時自刃の報に接し,「まてしばし死出の山辺の旅の道同じく越て浮世語らん」と詠じたという。<参考文献>安田元久編『鎌倉将軍執権列伝』
(森幸夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報