朝日日本歴史人物事典 「北条氏勝」の解説
北条氏勝
生年:永禄2(1559)
安土桃山時代の武将,相模玉縄城(鎌倉市)城主。左衛門大夫。また江戸時代初期の下総岩富藩(千葉県佐倉市)藩主。氏繁と北条氏康の娘の次男。兄氏舜の跡を継いで6代目城主に就任したのは,天正9(1581)年か。下野方面にも出陣。同18年の豊臣秀吉による小田原攻めの際には,山中城(静岡県三島市)に籠城して戦うが,3月29日に落城,玉縄城に逃げ帰った。4月21日,徳川家康の勧告を容れて降伏する。家康の関東入国後は岩富1万石の城主に取り立てられているが,これはかなりの優遇といえよう。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では三河岡崎城などを守備している。岩富城で死去した。
(佐脇栄智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報