北条高家(読み)ほうじょう・たかいえ

朝日日本歴史人物事典 「北条高家」の解説

北条高家

没年:正慶2/元弘3.4.27(1333.6.10)
生年:生年不詳
鎌倉後期の武将。父は北条氏一族の名越貞家。尾張守。嘉暦1(1326)年鎌倉幕府評定衆。元弘3(1333)年3月,後醍醐天皇隠岐を脱出し伯耆国船上山に籠もり六波羅をうかがう姿勢をみせ,赤松円心が後醍醐天皇方へ参加したことを受け,鎌倉から討伐軍の大将として足利尊氏と共に派遣された。山陽道方面から播磨備前を経て伯耆への攻略を命ぜられ,八幡・山崎合戦に尊氏と共に出陣したが,久我縄手(京都市伏見区久我)で赤松円心の家臣左用範家の矢の直撃を受け討死した。高家の死去により,尊氏は篠村八幡宮倒幕の願文を作成するなど倒幕へと変心していくこととなる。

(福島金治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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