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篠村八幡宮 しのむらはちまんぐう

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世界大百科事典 第2版の解説

しのむらはちまんぐう【篠村八幡宮】

丹波桑田郡(現,京都府亀岡市)の神社。篠村荘はもと平重衡の所領で,平氏追討後,源義経の知行となった。このとき,おそらく石清水社から勧請されて篠村八幡宮が成立したと考えられる。義経は同荘を法華山寺開山の円朗に寄進し,以後中世を通じて同寺領となった。《難太平記》によれば,足利尊氏は1333年(元弘3)4月,当八幡の社頭において討幕の挙兵を行い,右筆疋田妙玄に願書を書かしめたとあるが,現在同社が所蔵する尊氏の願文は疋田妙玄の筆跡とは明らかに相違し,花押も弱く,当時のものであることが疑問視されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

篠村八幡宮
しのむらはちまんぐう

京都府亀岡(かめおか)市篠町(しのまち)篠八幡裏に鎮座。応神(おうじん)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后を祀(まつ)る。その創祀(そうし)については不詳であるが、1333年(元弘3・正慶2)4月、足利尊氏(あしかがたかうじ)が神前に願文(がんもん)を奉じ、官軍に帰属する義旗を揚げたことで一躍有名となり、以後は足利氏の崇敬保護を受け、醍醐寺(だいごじ)三宝院(さんぼういん)の管理となった。しかし社地が洛外(らくがい)の僻地(へきち)であったため、足利氏衰亡後は社運も衰え、近世では亀岡藩の保護を受ける小祠(しょうし)となった。旧村社。例祭日は10月25日。足利尊氏の願文を踏襲して蔵する。[二宮正彦]

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