北柳原村(読み)きたやなぎはらむら

日本歴史地名大系 「北柳原村」の解説

北柳原村
きたやなぎはらむら

[現在地名]会津若松市一箕町亀賀いつきまちかめが

不動ふどう川左岸にあり、東は郷原ごうのはら村、西は下荒久田しもあらくだ村、南東藤原ふじわら村。もと柳原村と称したが、若松城下の西隣にも同じ村名があるので、寛文六年(一六六六)の「会津風土記以後は北柳原村と記している。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では大沼郡のうちに柳原とあり、高二七五石余。滝沢組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高二八六石余。化政期の家数は一四と文化元年に開いた南の一区の四(新編会津風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む